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あずきち
一昨日からやってる「L様が金色なのは錬金術的に見て意味がある」って話、スレイクラスタさんの反応が薄いのは私の考え方やら興味の方向やらがいろいろずれてるからとかそういうのはわかってるんですよ(まあちょっとさみしいけどな!ちょっとだけな!)。そもそも何で金色かって、金星から取ってきだけでしょうし。
あずきち @azukichi_himura
魔王=ルシファ―=明けの明星宵の明星=金星、で「闇の王なのに金色ってファンタジーでかっこよくね?」くらいのノリだったんだろうなーとかね、うん。でも金星ってギリシャローマ(というかキリスト教以前、イスラーム以前も?)では美の神の星じゃないですか。古代バビロニアでは豊穣の星でもあったかなたしか。
あずきち @azukichi_himura
それが明けの明星=光を引き連れてくるもの、宵の明星=闇を引き連れてくるもの、で堕天した(価値観を転換させた)魔王ルシファ―となった。その星が東洋では金星と呼ばれている。全部違うのに、L様が「すべてを内包した存在」なら、そこに「対立概念全てを一にした全なる存在は金色(の哲学者の石にして永遠の水)」と言う錬金術の考えを放り込むと、もともとは関係……と言うよりさして意味なかったはずの「金」という言葉が俄然意味を帯びてくるじゃないですか。
単なる日本語の偶然の一致じゃんと言われてしまえばそれまでなんですけど、こういう作者も読者も全く意図してなかったところでばしっと意味が出てきちゃうのって凄くエキサイティングだと思うんですよ。
あずきち @azukichi_himura
ユングの集合的無意識を普段「無意識が遺伝するとか生まれつき共有しているとかなにそのトンデモオカルト」と言いながら、でもこういうふとした符号を見つけた瞬間に「人間の魂はすべて集合的無意識と言う神につながっているのかな、人は『カミ』に近づける(神性を持っている)のかな」と感じるのです。私にはそれがとてもロマンなのです。
あずきち @azukichi_himura
自分でも混乱してきた―!わかってー!誰かー!わー!
あずきち
久々にユング関係の本読んでたら錬金術について書かれてたんだけど、錬金術って「対立しあうもの―たとえば白と黒、男と女―を結合(調和?)させる」のが目的で、その結合させた存在を哲学者の石とか永遠の水と呼ぶとある(多分一般に言われてる賢者の石)。
あずきち @azukichi_himura
で、結合させる過程でいろんな色になる(黒茶赤黄他)なかで、す べて結合した状態が赤か金色。これを踏まえるに、L様が「混沌の海」で「金色の魔王」ってのは錬金術のさす「すべてを内包した状態」=金色じゃないかな。 あと魔族(滅び)と人間(生)ついでにちょっと竜(神性)の混ざったガーヴが赤毛
あずきち @azukichi_himura
哲学者の石は「安っぽい、未熟な、飛び去りやすいもの」であると同時に「貴重な、完全な、不変不動」と錬金術師は言う……卑俗と神性その他対立概念すべての同居。だからL様は「在りし日の姿に還る」という望みを持っているのに「全き虚ろ」でもある。この解釈変ですかね
インスパイア(いや重要フレーズ拝借したのでパクリグレーかな……)元は鬼束ちひろの名曲「私とワルツを」です。
イメージ優先なので神話と食い違うのはご愛嬌ってことで。
ペル→ハデとハデ→ペルの2編(前者はポエムです、もうちょっと長くしようかと考えたけどそのままにしときます。後者はほんのちょっとだけ手直ししました)。2編ていうか、これ2つでひとつだな。
ペルセポネの名前の意味は「殺す女」と聞いていたのですが、「光を壊すもの」「目も眩むほどの光」の両方にとれるそうです。神と崇めるお方のサイト(※移転準備中)で知り、お願いしたところ快く使用許可を頂きました。ありがとうございます!(以前から存在する学説でもあるそうです)
では続きに。
うろ覚え状態での自分用まとめ覚書なのでいろいろ間違ってるかもです。この量なら別記事にしなくてもよかったかなあ。
■「自己愛」は悪ではない
誰だって自分のことはかわいいものだ。そして周囲から好かれたいと思うもの。嫌われるだけの人生で一人だけで生きていける人間などごくごく少数。日本ではどうも自己愛と言う言葉そのもののイメージが悪いと思われるが、「自己愛」自体は決して悪いものではなく、「健全な自己愛」に発達させることで、「自分も大事、周囲も大事」と肯定し受け入れ、より高みを目指すため努力することができるようになる。メンヘラやボーダー、自己愛パーソナリティ障害とは自己愛が健全に発達しなかった場合(「私を愛してよ!」で止まってしまう)に起こるとコフートは考えた。
また自己愛には対象が必要であり、対象からの反応も必要である。親切にしたら感謝してもらいたい。好意を持った相手からは好意を返してほしい。これは普通のこと。何もいい反応が返ってこないのに対象を愛し続けることは不可能……振り向いてくれない相手に尽くし続けることはできない。どこかで折れてしまう。
そして「健全な自己愛」を得るために重要な反応を返してくれる対象が以下の3つ。
■鏡自己対象
「自分のことを認めてほしい、褒めてほしい」と言う欲求を満たしてくれる対象。まず「自分は肯定された」と言う実感があることで人は強くも優しくもなれるもの。「自分は認めてもらえなかった」と言う気持ちが強いと他者と対等な関係が築けず、おどおど下手に出て余計嫌われてしまう……おそらく。自信や自尊心を正しく持つために必要な対象と思われる。
■理想化自己対象
「あの人のようになりたい」と指針とできる対象。これは身近な存在に限らない。鏡自己対象から肯定され、自信を持ち、理想に近づくため努力していけるようになる、そのための対象(多分)。
■双子自己対象
「私は一人ではない。同じような仲間がいる」と安心や帰属意識を持てる対象。孤独から引き上げてくれるのは鏡自己対象(肯定)や理想化自己対象(努力の方向)よりも、「同じ高さ(=低さ、深み)にいる」と思わせてくれる存在。
サロメ語りはユングのタイプ論と合わせてこの3つの自己対象の観点からアプローチする形で書こうと思います。(けどサロメという少女についてのただのパーソナリティ分析で終わりそう。ほんと純粋な萌え語りできない人間だな)
しかし椅子がバランスバリアブルなので裾かっぴらき。
けど帯との相乗効果で背筋伸びるわ首楽だわ。
そげな話は置いておいて、6/11にサイトの方からいただきました拍手コメントへのお返事でするー。