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 リク頂きましたサロメ語りでする。長くなりました。
 カテゴリこれ(他ジャンルヲタク話)でいいかなあ……。エンタテイメント類感想のほうがいいかなあ。

 まとりあえず続きからどうぞー。

■サロメってヤンデレ?/そもそもヤンデレとは、ヤンデレとメンヘラの違い
まずヤンデレとメンヘラの違いをざっと列挙してみます。

1.
・愛するあなたを私の全てで汚い世界から守るのがヤンデレ
・あなたの全てで私を愛して汚い世界から守りなさいよがメンヘラ
2.
・敵認定した相手をリスク度外視の実力行使で排除するのがヤンデレ
・敵認定した相手を自分のリスク優先で口八丁で陥れて優越感に浸るのがメンヘラ
3.
・自分を責めても自傷行為に走らないか、走っても一時的または隠すのがヤンデレ
・自分を責めているふりのために自傷行為に走って見せびらかし脅してくるのがメンヘラ
4.
・愛情の対象を絶対に傷つけないのがヤンデレ
・そもそも愛情の対象ですらなく支配して自分が気持ちよくなりたいだけなのがメンヘラ
5.
・好きすぎて壊れちゃったのがヤンデレ
・好きになりなさいよと最初から壊れてるのがメンヘラ
6.
・一途で重くて好きな人から愛されるだけでいいのがヤンデレ
・簡単に誰とでも肉体関係を持つことで愛されてると思いたがるのがメンヘラ
7.
・とにかくあなたが大好き、自分ってなんだっけ? 世の中で大事なのってあなただけだよね? がヤンデレ
・とにかく自分しか好きじゃない、あんたなんか道具がメンヘラ
8.
・相手への愛情を自覚し、たった一人のために世界だって敵に回せるのがヤンデレ
・上にあげた例の自覚が一切なく、「あの人を好きな私」「愛されてる私」が好きなだけでとにかく自分しかいないのがメンヘラ

 さて、サロメは基本的に上記のどちらにも当てはまってない気がします。「首を欲しがる」のは「ヨカナーンを傷つける」ことなのでヤンデレよりメンヘラ寄りの行動なのですが……受ける印象はしっかりヤンデレなんですよね。「恋に狂って病んでしまった破滅型の女」ではあるけどメンヘラのように壊れてはいないというか。ヨカナーンの首に「どうしてあたしを見ようとしないのだい?」と問いかけているあたり、「口づけをするためだけに首を欲しがった」のであって、本来傷つけようとしたわけではないというのもポイントでしょうか。「首だけであってもヨカナーンなら愛せる」のは明らかにヤンデレですし、とにかくひたすらヨカナーンしか見ていないところなんかもヤンデレですね。そういえばスクイズTV版でヤンデレ神言葉様が誠の首と旅立ってましたが、これはもしかしてサロメのオマージュでしょうか(無論私はあのラスト好きです。いやそれでも幸せな言葉様見たくてDVD-PG版買ったりしたけど)。
 もっと抽象的な言葉で言うなら、ヤンデレは「純度は高いけど歪んでしまった愛情」で、メンヘラは(あくまでかなり好意的に譲った言葉として)「まっすぐかもしれないけど濁ってしまった恋慕」かなと思うのですが、サロメは愛ではなく恋ですけど、「純度が高く歪んでいる」点でヤンデレの印象を受けるのではないかという気がします。あくまで私の感触ですけど。

■ユングタイプ論から見るサロメとヨカナーン
 毎度毎度ユングユングで申し訳ないです。なんか好きなんですよタイプ論が。
で、私はサロメって典型的な内向的感情タイプだと思います。
 自分の好き嫌いに忠実すぎて周囲を無視するし、自己中で傲慢に見える。他人を自分の思い通りにしようと全く考えてないですよね。首は欲しがったけど、あくまで口づけのためで、ヨカナーン自信を操ろうとしたわけではないんですよサロメは。
 外向的思考が弱点で一人相撲で破滅してしまうところとか、呪術的・神秘的な雰囲気とか、自身の感情は常識や良識にとらわれることなくそれらをやすやすと飛び越える行動をとるところとか。
 対してヨカナーンは内向的直観タイプだろうなあと思います。内向的直観タイプは「荒野の説教者」だそうですが、事実預言者ヨカナーンは荒野の説教者です。発する言葉は主観的で合理的な構成もない。預言者だからと言うのもありますが、性的なことに拒否感を示すのもこのタイプであることが要因として大きそうです。
 それから内向的思考の要素も持ってる気がします。意志が強いのって内向的思考タイプなので。内向的思考タイプは考えに考えて考え抜いて「これが正しい!」と思ったらそれこそ世界を敵に回しても全く退かないらしいんですが、手元の資料によると、十六世紀宗教改革のころ、スイスのレマン湖東端の城に吹きさらしの牢があって、そこに新教の指導者が鎖につながれて真冬の寒さの中四年も生きたそうです。もともと水槽だった牢につながれても神への忠誠を失わなかったヨカナーンは通じるものを持っていると思うのですが……。あと感情結構剥き出しなところ(弱点が外向的感情になるので)。

 んで私ここ(タイプ論)考えてた時、はじめ「サロメは外向的感覚も発達してる?」と思ったんですよ。自分の美を磨くことに興味をそれなりに持っているように感じたし、実ははたから見てるほど自由奔放ではないし。だから内向的直観が弱点にもなっていて、そこを直撃されてヨカナーンに惚れたのかと考えたのですが……。どうもちょっと違う気もするのですよね。サロメって強烈な内向型ですし。確かに外向機能だと発達してるのは思考・感情の合理型ではなく、感覚・直観の非合理型だと思うんですが……むしろ内向的直観タイプの要素があるような気もしてきてまして。ここはまだちょっと結論出せてないのですが、サロメの中の「内向的直観」がヨカナーンの中に神を見た(それを恋だと思ってしまった)のはたぶん間違いないと思います。ヨカナーンの中に見た「神」については次項で。

■コフートの自己愛理論からみるサロメがヨカナーンに見出したもの
 さて、ここでようやくコフートの理論が登場です。下準備記事申し訳程度の量でしたが。
 サロメって歪んでますよね。人格の歪み、認知の歪みは即ち自己愛が歪んでるってことになります。健全な精神、健全な自己愛を持ってない。
 サロメからみて、健全な自己愛を育むに十分な自己対象はいなかったと考えていいと思います。自分の自尊心を満足させることしか考えていない(そのためには娘も利用するが娘に嫉妬もする)母親、近親の自分に対しどこか性的な部分を含んだ視線を向けてくる叔父であり父である王。鏡自己対象も、理想化自己対象もいなかった。そして双子自己対象もいなかった。
 ふと声に惹かれて連れ出させ、出会ったヨカナーンをサロメは内向的直観で「彼は自分と同じだ」と直感したのではないでしょうか。つまり双子自己対象との出会いです。そしてそれはサロメにとって自己対象となりうるものとの初めての邂逅だった。双子自己対象だけではなく、サロメにとってヨカナーンは「おなじなのだよ、あたしとおまえは。あたしをうけいれておくれ」と思える鏡自己対象でもあったのです。同じだからこそ受け入れて欲しかった。同じだからわかってもらえると思った……そういうことではないでしょうか。「一目でいゝ、あたしを見てくれさへしたら、きつといとしう思うてくれたらうに」という言葉にそれが表れている気がします。
 しかしヨカナーンもまた、その内向的直観でサロメがどういう女であるかを感じ取り、また神への忠誠からサロメを見ることがないまま彼女を拒否します。そうしてサロメはその歪んだ自己愛ゆえに歪んだくちづけを求め、歪みゆえに恐れられ王の命によって殺されてしまう。そんな、歪みを抱えて愛に飢えたひとりの少女の、ひりひりとした叫びがあの長々としたセリフに、「お前の首はもうあたしのものだもの。どうにでも出来るのだよ、あたしの気のすむやうに」「あゝ! ヨカナーン、ヨカナーン、お前ひとりなのだよ、あたしが恋した男は」という言葉に、そして「あたしはお前の美しさを飲みほしたい」と言う言葉に相手のすべてを欲しがる孤独が表れていないでしょうか。だから私はサロメが、あの長台詞が好きなのかな。一見いろんなものを持っているようでいて、叫びだしたくなるほどの孤独を抱えている、というのが私が惹かれるポイントのようです。スレイヤーズの魔族しかり、オペラ座の怪人しかり。

 結局いつもどおり何が言いたいんだかわからないオチのない文章になりましたが、とにかく私はこれでもサロメが! あの長台詞が大好きなんです! あふれるデカダンスにくらくら!
 サロメ語りリクくださったiv様、こんな内容ですがひとまずご容赦頂けるでしょうかー!

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